快適な履き心地のハイクオリティスリッパ

画像だけではわからない品質の良いスリッパの製造会社の日々

3月11日 10年

東日本大震災から10年の時が流れた。

この10年、日本の暮らしはずいぶんとかわったと思う。そして、昨年からのコロナ禍でまたずいぶんとかわった。今後、ワクチン接種が続いて、新型コロナウィルスの流行が沈静化していったとしても生活はもとには戻らないと思える。

さて、東日本大震災である。

当時、頻繁にくりかえされた大きな揺れは徐々に減ったものの、今年、東京で震度4を計測した大きく長い揺れは、大震災を想起させた。

 

東日本大震災が発生したときは6階建てのビルの4階で事務作業をしていた。

あまりに大きな揺れでビルは揺らぎ、従業員は皆、デスクの下にもぐる中、私はパソコンラックの最上部に置いたプリンターがずり落ちないように支えていた。通りを見通せる窓から外を見ていると、人通りがまばらな大通りの歩道がみるみるうちに人で埋まり、車道にまではみ出す始末。人々の視線は揺れ動くビルの最上部を見上げていた。

とても長く感じた揺れがおさまったとき、その場にいる者の無事を確認。そして、電話。電話がかからない。不通である。携帯電話のワンセグで見たのか、記憶が定かでないが、震源地とされる東北、仙台の人たちが道を歩いている映像を見た気がする。仙台支店に電話するもつながらない。1時間後か1時間半後かに奇跡的につながった電話で仙台支店の人の無事を確認すると早々に帰宅することになった。車があるものが車を出して分散して皆を送り届ける。そして、会社を出たが、車道は車だらけでなかなか進まない。やっとの思いで一人を下した後、大渋滞で進まなくなった。それでも少しづつ動き、寄り道したので(近場の人の車だったので、遠方に回り、遠いものから先に下した。私は近場だったので運転者とともに最後)会社から車で10分もかからない自宅に帰るのに3時間くらいかかったかもしれない。それでも比較的早い帰宅だったと思う。隣の家の奥さんがガスが点かずに困っていたところを、手助け、元栓から再起動した。

あれから10年…。

 

勤めていた会社はなくなり(震災とは関係ないけれど経営成り立たず)、転職、そして、転職、また転職。現在に至る。

 

 10年前の東日本大震災で亡くなった方たちのご冥福をお祈りいたします。

被災されて懸命に生きてきた方たちにエールを送ります。

これからもがんばって生きていきましょう。